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滝廉太郎の話 |
滝廉太郎は日本を代表する、明治時代の西洋的音楽の作曲家である。1879年(明治12年)、現在の東京都港区で生まれた。しかし、23才の若さで亡くなった。父は滝吉弘。母はマサ。明治時代の前半には多くの翻訳唱歌が生まれたが、滝廉太郎は日本人の感性を生かした、独自の作風を持つ独創的な作品を創りあげた。筆者はこれまで春のうららの「花」と春高楼の「荒城の月」くらいしか知りませんでしたが、この話を書くために調べたら、あまりにも沢山の曲があったうえに、「鳩ぽっぽ」などの広く親しまれている曲を作詞・作曲をしていたので驚きました。まさに天才というにふさわしい。最初に彼の才能を見いだした小山作之助は優れた教育者である。岡城址には彫塑家・朝倉文夫作の銅像が建っている。岡城址の銅像を見ると、彼は交響曲に思いを馳せ、想を練っているように、私には思えてくる。
参考:
1.滝廉太郎記念館(大分県竹田市)
2.滝廉太郎年譜(大分県竹田市)
3.滝廉太郎/フリー百科事典「ウィキペディア」(http://ja.wikipedia.org/wiki/
4.第9回滝廉太郎(http://www.kirihara.co.jp/scope/pickup/200402/pickup.html)
5、滝廉太郎今日より10(http://www.hm.h555.net/~hajinoue/jinbutu/takirentarou.htm |
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【滝廉太郎の歴史[略歴)】 |
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1879年(明治12年)、滝廉太郎は現在の東京都港区に生まれる。父は滝吉弘。母はマサ。3男5女の長男。
1886年(明治19年)、神奈川県師範学校付属老松小学校入学。(6歳)
1891年(明治24年)、父赴任に伴い、豊後竹田に移る。(12歳)
1894年(明治27年)、大分県直入郡高等小学校高等科卒業。(14歳)
1894年(明治27年)、4月大分県直入郡高等小学校高等科卒業。(14歳)
5月上京。芝唱歌会に入会。
9月東京音楽学校(予科)へ入学
1895年(明治28年)、7月予科終了、9月本科(専修部)進学(15歳)
1898年(明治31年)、7月本科(専修部)卒業、9月研究科進学(18歳)
1899年(明治32年)、音楽学校嘱託となる。(19歳)
「四季の滝」作曲
1900年(明治33年)、ドイツへ留学命ぜられる。(20歳)
1901年(明治34年)、3月「中学唱歌」出版。「荒城の月」作曲。「箱根八里」作曲。
4月ドイツに留学する。(21歳)
1902年(明治35年)、10月帰国。「別れの歌」作曲、「荒磯」作曲
1903年(明治36年)、2月憾(うらみ)作曲6月滝廉太郎死去する。(23歳) |
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【滝廉太郎の作品】 |
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1896年「日本男児」、1900年日本人初「メヌエット(ピアノ曲)」、[四季」、「箱根八里」、「荒城の月」、1901年「鯉幟」、「鳩ぽっぽ」、「雪やこんこ」、「お正月」、1903年「憾」 |
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滝【滝廉太郎を巡る人々】 |
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最初の師・小山作之助、ピアノの作曲を学んだケーベル博士、幸田延・幸姉妹、従兄・大吉、「荒城の月」作詞の土井晩翠など
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