年号
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日本の歴史
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広瀬武夫の歴史 |
夏目漱石の歴史
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1867年(慶応3年) |
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夏目漱石誕生 |
1868年(明治1年) |
明治維新 |
広瀬武夫誕生5月27日
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塩原家の養子となる
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1869年(明治2年)
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版籍奉還
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1870年(明治3年)
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天然痘にかかる
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1871年(明治4年)
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廃藩置県
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4歳、弟・潔夫誕生
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1872年(明治5年)
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学問のすすめ(福沢諭吉)
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1873年(明治6年)
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地租改正
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6歳、妹・登代子誕生
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1874年 (明治7年) |
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8歳、小学校に入学
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1875年(明治8年)
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7歳、母・登久子死去
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夏目家に引き取られる
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1876年 (明治9年) |
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8歳、竹田小学校へ上がる、兄・勝比古上京し攻玉社入塾、父・重武、高山区裁判所長
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1877年(明治10年)
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西南戦争、竹田の攻防戦
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10歳、飛騨高山に移る、竹田小より高山かん章小へ、白山神社境内で良く遊ぶ |
人形の家(イプセン) |
1877年(明治11年) |
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11歳、弟吉夫誕生、歴史地理を好み学ぶ |
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1879年(明治12年)
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12歳、兄勝彦・海軍兵学校入学 |
13歳、小学校卒業、中学校入学
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1880年(明治13年) |
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12歳、高山かん章小学校卒業、代用教員、詩作にふける
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14歳、母ちえ死去、二松学舎入学
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1881年(明治14年) |
政変(松方財政)
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1882年(明治15年) |
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衛藤敦夫から広瀬重武宛書簡
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1883年(明治16年) |
松方デフレ、自由民権運動、鹿鳴館
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15歳、1月重武、岐阜県始審裁判所へ転補、3月父の後を追うが追返される、4月岐阜華陽中学校へ臨時入学、10月16歳、上京、攻玉社入塾、講道館入門
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成立学舎入学、(女の一生モーパッサン) |
1884年(明治17年) |
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16歳、継母・きん子死去
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18歳、東京大学予備門予科入学
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1885年(明治18年) |
第1期軍備拡張計画、内閣制度確立
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18歳、攻玉社卒業、海軍兵学校入学(15期) |
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1886年(明治19年) |
鎮守府設置、ノルマントン号事件 |
19歳、秋山真之(17期)と築地・四谷で同居
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留年
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1887年(明治20年) |
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長兄、次兄死去
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1888年(明治21年) |
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海軍兵学校移転
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22歳、夏目家に復籍、第一高等学校に進学
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1889年(明治22年) |
大日本帝国憲法発布、東海道線全線開通
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21歳、海軍兵学校卒業(少尉候補生)、遠洋航海(比叡)
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1890年(明治23年) |
東京・横浜間電話開通
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測量・海図作成(海門)
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24歳、帝国大学英文科入学 |
1891年(明治24年) |
大津事件、足尾鉱毒事件 |
少尉任官(海門・比叡)、遠洋航海(航南私記)
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方丈記を英訳
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1892年(明治25年) |
第2期軍備拡張計画
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分隊士、内海測量(筑波)、武夫から衛藤敦夫宛書簡
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26才、北海道に移籍、東京専門学校の講師となる
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1893年(明治26年) |
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第8期水雷術練習尉官教程終業
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27歳、帝国大学大学院入学、高等師範学校英語嘱託
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1894年(明治27年) |
日英通商航海条約、日清戦争(1894〜1895)
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27歳、日清戦争に従軍(門司丸)、豊島沖海戦、黄海海戦
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松山・熊本時代、樋口一葉「大つごもり」
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1895年(明治28年) |
下関条約、三国干渉、東学党の乱
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28歳、鎮遠回航、大尉昇進、横須賀水雷隊攻撃部艇長
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正岡子規と同宿、中根鏡と婚約
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1896年(明治29年) |
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竹田へ帰郷、磐城航海長 |
熊本五高に赴任、「ハムレット」「オセロ」を講義、鏡と結婚
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1897年(明治30年) |
金本位制成立
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29歳、軍令部諜報部員、8月ロシア留学、武夫から衛藤敦夫宛書簡、祖母・智満子死去、秋山真之、アメリカ留学
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父・直克死去
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1898年(明治31年) |
物価高騰が深刻化、米西戦争
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30歳、ロシア留学、舞踏会 |
中根鏡自殺図る
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1899年(明治32年) |
義和団事件、ボーア戦争
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31歳、ロシア駐在員、黒海巡視旅行、アリアズナ
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33歳、長女筆子誕生
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1900年(明治33年) |
立憲政友会発足
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32歳、ロシア駐在員、英仏独視察旅行、バルト海沿岸視察旅行、少佐昇進、柔道
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英国留学、ロンドン、次女恒子誕生
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1901年(明治34年) |
八幡製鉄操業、社会民主党結成
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33歳、父・重武死去(66歳)、帰朝命令、滝廉太郎から「荒城の月」の楽譜
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池田菊苗、土井晩翠と親交、正岡子規死去
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1902年(明治35年) |
日英同盟調印
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34歳、シベリア踏破、帰国、朝日水雷長兼分隊長、アリアズナとの往復書簡、
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36歳、スコットランド旅行
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1903年(明治36年) |
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海軍戦術講究員
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37歳、帰国、第一高等学校講師、東京帝国大学英文科講師、三女英子誕生
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1904年(明治37年) |
対露宣戦布告、連合艦隊出撃、日露戦争(1904〜1905) |
36歳、旅順口閉塞決定、第1次旅順口閉塞作戦、第2次旅順口閉塞作戦、戦死、中佐に特進 |
38歳、明治大学講師、「我輩は猫である」 |