11. (2008.8.28.) |
|
コーヒーの世界史(年表) | |
6世紀(一説には15世紀後半)、アラビア半島のイエメンで最初の珈琲栽培を始める。 10世紀初め、バグダッドの医師「ラーゼス」による歴史上最初の公式飲用記録。 14〜15世紀中頃、回教徒(イスラム)の秘薬時代 1454年頃、焙煎の手法発見(イエメン・アデンの寺院) 15世紀後半、アラビア半島へ伝播。 イスラムの聖都 メッカ、メディナへ伝播。 エジプト カイロへ伝播。 マムルーク朝支配のエジプト、シリアへ伝播。 16世紀、オスマントルコによりイスラム各地へ伝播。 1299年 イスラム国家として建設される 1453年 東ローマ帝国を倒し、三大陸に領土を拡大。 15-16世紀 マムルーク朝を倒し、エジプト、シリアを支配。 16世紀 アラビアを支配。トルココーヒー、イスラム各地へ伝播。 1510年 エジプト・カイロへ 1517年 イスタンブールへ 17世紀以降、世界各地へ伝播。 1)ヨーロッパへ伝播 1592年、ベネチア人プロスペロ・アルピーニは「エジプトの植物」を記す 植物のコーヒーと飲料のコーヒーについて説明。 ココアはスペイン人が伝播(1528年) お茶はオランダ人が伝播(1610年) 1616年、イエメンからオランダへ伝播(オランダの貿易商) 1644年、フランスへ伝播(P・ド・ラ・ローク) 2)アジアへ伝播 17世紀初期、イスラム教徒の巡礼者「ババブーダン」がイエメン・メッカから南インドのマイソール州に伝える。 1658年、オランダからセイロン(現在のスリランカ)へ伝播 1699年、オランダからジャワへ伝播。 4)アメリカへ伝播 1607年、バージニアへ伝播(ジョン・スミス) 1689年、ボストンへ伝播。 1773年、ボストンティーパーティー事件。 5)中南米へ伝播 1714年、オランダ・アムステルダム市長からフランス・ルイ14世へ。 1715年、仏領マルチニーク島からハイチ、ドミニカへ伝播 1715年〜1717年フランス東インド会社により、ブルボン島(現レユニオン)に伝播。 1718年スリナムへ伝播(オランダ人)。 1727年、ブラジルへ伝播。フランス領ギアナからブラジルのパラ県へ移植。 「フランシス・デ・メロ・パリエタ大佐」(パラマラニョン県の警備隊長) 1730年、ジャマイカへ伝播(イギリス人)。 1740年、フィリピンへ伝播(スペイン人)。 1748年、ドミニカからキューバへ伝播。 1750年〜1760年、グァテマラへ伝播。 1779年キューバからコスタリカへ伝播。 1790年西インド諸島からメキシコへ伝播。 6)日本へ伝播 4つの説(17―18世紀) 19世紀以降 コーヒーが飛躍的進歩 1802年 ドノーブ、アンリオン、ローシュがコーヒー湧かし器の最初の特許を考案 1877年 焙煎機の開発。 1899年 インスタントコーヒーの発明(日本人)。 1901年 ペーパー・ドリップ・システムの考案。 1908年 エスプレッソ・マシーンの考案 参考文献: |
10.ブラジルコーヒーの話(5) (2007.12.1.) | |
ブラジル移民の歴史 | |
1904年(明治37年)、日露戦争。(〜1905年) |
エピソード 日露戦争における広瀬武夫 衛藤六蔵 in Brazil 1928年(昭和3年)、衛藤六蔵渡伯。 1929年(昭和4年)、衛藤六蔵サントス公認珈琲取引所鑑定室に入所。 1931年(昭和6年)、衛藤六蔵ブラジル政府公認珈琲鑑定格付員の資格取得。 1933年(昭和8年)11月、衛藤六蔵、ブラジルより帰国。 マルコス・ミヤキ家 1930年(昭和5年)頃、 マルコス・ミヤキ家(祖父母)、ブラジルに移住。 1975年(昭和50年)、マルコス・ミヤキ家(父・ヨシオ・ミヤキ)、ブラジル・パラナ州で大 霜害に遭遇。 1978年(昭和53年)、マルコス・ミヤキ家(ミヤキ6歳)、ブラジル・セラードに移住し、現在に至る 島野俊弥 1958年(昭和33年)10月、26歳のとき移民船「ブラジル丸」でブラジルへ移住。 最初、動物医薬品関係の仕事に就く。 1986年(昭和61年)現在の地でコーヒー栽培を始める。そして現在に至る。 |
9.ブラジルコーヒーの話(4) (2007.5.2.) |
|||
トルマリン農場の紹介 トルマリン農場の島野俊弥(Toshiya Shimano)さんが3月2日にキングスコーヒーを尋ねてこられました。そして島野さんといろいろなお話をしました。島野さんは経験と科学の知識と技術の両面から美味しいコーヒーの栽培を実現しようとあらゆる努力をされているのがよく分かりました。一度現地の農場を訪問しようと思っています。ここでは島野さんとトルマリン農場とそこで栽培されているムンドノーボ種のコーヒー豆について紹介を致します。(2007.5.2) |
|||
|
|||
|
8.ブラジルコーヒーの話(3) (2006.9.8.) |
||||||||||||||||||
ブラジルセラード訪問記その1〜その6 セラードを訪問した際に当時の上原社長からセラードの歴史から農園について熱心に教えていただきました。上原社長が昨年(平成18年)の12月に亡くなられたのは本当に残念なことです。ご冥福をお祈りいたします。(2007.4.12.) |
||||||||||||||||||
|
7.ブラジルコーヒーの話(2) (2005.4.13.) | |
ブラジルコーヒーの歴史 | |
1500年、ポルトガルの航海者「カプラル」によって発見される。 1532年、ポルトガルの植民地となる。 1720年、中南米にコーヒーが最初に導入される。 仏領マルチニーク島の駐屯歩兵隊海軍将校「ガブリエル・マチュード・クリュー」に よってカリブ海の仏領マルチニーク島に移植される。 1727年、ブラジルへはじめてコーヒーが伝来。 パラ・マラニョン県の警備隊長代理「フランシス・デ・メロ・パリエタ大佐」によって、 仏 領ギアナからブラジルパラ州へ移植される。 1732年、最初のコーヒー輸出。パラ県からリスボンに750俵を輸出。 1761年、リオデジャネイロにコーヒーが移植され、栽培がはじまる。 1780年、サンパウロにコーヒーが移植され、栽培がはじまる。 1850年頃、サンパウロでコーヒーの本格的栽培がはじまる。 1859年頃、レ・ユニオン島からブルボン種が持ち込まれる。 1875年、ブルボン種の栽培がはじまる。 1889年、革命によって連邦共和国となる。 1908年(明治41年)、日本からの移民始まる。 1918年、大霜害 1920年、パラナ州で本格的栽培がはじまる。 同年、リオデジャネイロに珈琲取引を行うコーヒー商業センター(セントロ・デ・コメルシオ・ド・ カフェ)設立。 1922年、サントスに公認珈琲取引所(ボルサ・オフィシャル・デ・カフェ)設立。 1924年、パウリスタ恒久コーヒー保護院設立。 1925年、同院の名称をサンパウロ州コーヒー院に変更。 1927/1928年、第一回目の生産量のピーク(169万トン)。 1929年、世界大恐慌。価格大暴落。 1929/1930年、第二回目の生産量のピーク(194万トン)。 1930年、黄色ブルボン種の発見。 1931年、国家コーヒー委員会設立。 1931/1932年、第三回目の生産量のピーク(174万トン)。 1933年、国家コーヒー局(DNC)設立。 1933/1934年、第四回目の生産量のピーク(199万トン)。 1934年、コーヒー技術庁設立。 1943年、ムンドノーボ種の発見。 1950年頃、ムンドノーボ種の栽培始まる。 1975年、大霜害 参考文献:1.オールアバウトコーヒー(W.H.ユーカーズ著、UCC監訳)、 2.コーヒーの事典(コーヒー文化学会編) 3.衛藤六蔵履歴書 |
エピソード エピソード 豆余り時代 1927年から1934年にかけて4回の大豊作。 1928年(昭和3年)、衛藤六蔵渡伯。 1929年(昭和4年)、衛藤六蔵サントス公認珈琲取引所鑑定室に入所。 1931年(昭和6年)、衛藤六蔵ブラジル政府公認珈琲鑑定格付員の資格授与。 |
6.ブラジルコーヒーの話(1) (2005.4.13.) |
|
ブラジルとコーヒー | |
ブラジルはポルトガルの航海者「カプラル」によって1500年に発見されました。その時カプラルは「赤い染料の木」を発見し、「赤い染料の木=パウ・ブラジル(Pau-brasil)」の島としてヨーロッパに伝えました。これが国名の由来となりました。 ブラジルの正式な国名は「ブラジル連邦共和国(Federative Republic of Brazil)」です。首都はブラジリア言葉はポルトガル語、人口は1億7600万人です。 南米大陸の東部に位置し、面積は851万平方キロメートルで南米大陸の約45%を占め、日本の22.5倍です。北部はアマゾン流域の低地と熱帯雨林地帯、中南部がブラジル高原(300−1000m)で国土の約半分を占めている。国土の十分の九は熱帯だが、ブラジル高原はすごし易く、南西部でコーヒー・綿花が生産されている。 ちなみにコーヒーの生産量は239万トン(2002年)、世界全体で756万トン。 参考文献:コーヒーブレイクJAN.2005 vol.55(全日本コーヒー協会) 標準百科事典(保育社) |
5.コナコーヒーとコーヒー農園の話 (2000.12.1) | |
カイオーファーム(KA'IO FARM) | |
キングスコーヒーはハワイのカイオーファーム(KA’IO FARMS)という農園から、コナコーヒー「WING
of the Morning」(100%Pure Kona Fancy Grade)を輸入しています。。これは2000年ニュークロップ(今年の採れたてのコーヒー豆)です。ついでですが、何年も寝かせた豆をオールドクロップといいます。私はニュークロップにコーヒー本来の味があると思っています。カイオーファームのパンフレットを参考にしながら、コナコーヒーとカイオーファームについて紹介しましょう。 コナコーヒーとは・・・ コナコーヒーとはハワイ島のコナ地区で生産されているコーヒー豆でハワイ州の農務省によって認証されたものです。そのグレードは、エクストラファンシー、ファンシー、No1と分類されます。そのテイストは、(1)フルボディ=旨み、(2)ディスティンクティブ テイスト=上品な味、(3)ロー アシディティ=軽やかな酸味と表現されています。 ハワイ島って・・・ ハワイ島は、ホノルルから東へ飛行機で40分位のところにあるハワイ諸島で最も大きな島です。その面積は約1万平方km(岐阜県とほぼ同じ)、人口は約13万人です。たいへん穏やかで美しいところです。 ハワイ島で飲むコーヒーは・・・ ここでのんびりと海」をみながら飲むコーヒーの味はなんともいえず旨い!のですが、とにかく深煎りで、苦みたっぷりの芳醇なコーヒーです。しかし、日本人には味が強すぎていやだという方もいらっしゃいます。そこでキングスでは苦みを感じない酸味系のミディアムローストと苦み系のダークローストの2種類を用意しています。 コーヒー栽培・・・ コナのコーヒー農園は小規模なものが多く、現在約700の農園があります。 ハワイ島でのコーヒー栽培は1800年代に東部のウインドワード地区から始まり、次第に条件の良い西部のコナ地区に移っていきました。コナのHualalai山やMaunaloa山の斜面(500−2800フィート)が非常にアラビカコーヒーの栽培に適していたのです。 その理由は、 (1)温暖な海洋性気候 (2)朝の光 (3)午後の曇天 (4)雨 (5)水はけの良い火山性土壌 (6)風当たりがすくない。 しかも、自然条件がきびしく、機械化が困難で、人手による丁寧な作業が行われているため、価格は高いものの、非常に高品質のコーヒー生産がおこなわれ、現在も続いているのです。そしてその裏には日本人の移民の方々の血のにじむような努力もあったのです。いまでもコーヒー豆の乾燥床のことを「The Hosidana Deck」とよんでいます。 カイオー ファームのこと・・・ KA’IO FARMS はハワイ島のカイルアコナにあるコーヒー農園です。KA’IO FARMSは非常に手をかけ、プライドをもって高品質のコナコーヒーを生産している農園でもあります。サチアナンダさんがオーナーです。私は1998年7月に訪問して、お会いしました。たいへん温和で、素晴らしい方です。それと同じように、コーヒー豆もきれいなグリーンで、飲んだ味もまた素晴らしいものでした。今回もまた最高のコーヒー豆をおくってくれました。 最後にサチアナンダさんとカイオーファームのスタッフに「ありがとう」と感謝して筆をおきます。 |
カイオーファーム のパンフレット カイルア コナの海 コナコーヒーの木 The Hosidana Deck |
4.スリランカには美味しいコーヒーもあった! (2000.10.18) |
◇スリランカはインド洋に浮かぶ緑の真珠と言われる美しい島で、広さは北海道とほぼ同じです。 コロンボが都市として有名ですが、首都はスリ・ジャヤフルデナプラ・コッテという長い名前のところです。仏教が盛んでいたるところに立派な寺院があり、人々は穏やかです。 ◇「スリランカのコーヒーです」というと、みなさん「スリランカにコーヒーがあるのですか?」と聞かれます。スリランカに美味しい、幻のコーヒーがあるということを聞いた時、私も最初は本当かな?と思いました。今のスリランカは、紅茶の国・セイロンテイの国として超有名ですから。しかし19世紀中頃までは世界最大のコーヒーの輸出国だった歴史を持っていたのです。それがサビ病の発生によりほぼ全滅し、紅茶の栽培に切り替えらたのです。そのため今ではコーヒーは栽培されていないと思われていたのです。 ◇幻のコーヒーはニードウッドという紅茶屋さんで栽培されていました。スリランカを訪れ、幻のコーヒーを自分の目で確かめたのはもう6年も前の1994年3月ことです。それはみごとな豆でした。なんともいえない味わいでした。それ以来、きょうまで取扱っております。「幻の」と言えるほど希少で、芳醇な香りと味をもつスリランカコーヒーをすこしでも多くの皆さんに飲んでいただければ幸いです。(写真はマウントラビニアの海岸) 最後に、不幸な内戦の記事がときどき新聞に載ります。早く終わることを願って筆を置きます。 |
3.コーヒーにも日本の四季があっていい。 | ||||
日本には四季があります。四季によって好む味が異なります。料理は旬の味を大切にしています。四季に応じた美味しい料理があります。ところがコーヒー・紅茶にはほとんど見あたりません。日本の四季に応じた美味しいコーヒー・紅茶があっていい。春には軽い感じのコーヒー・紅茶が、夏にはさっぱりとしたコーヒー・紅茶が飲みたくなります。秋になると夏よりも旨みのあるコーヒーと紅茶が飲みたくなります。正確に言えばより美味しいと感じるようになります。人間の感覚は面白い、そして鋭い。この感覚を大切にしたいと考えました。そんなところから、四季のブレンドが誕生しました。 | ||||
|
||||
春の香 | ||||
春のコーヒーのテーマは「香り」です。春の息吹を感じ、草木が芽吹くと、身も心も軽く感じます。そして春をなによりも感じるのは春の山菜「うど」などが醸し出す香りです。春のコーヒーは香りと軽やかな味わいに創りあげました。 | ||||
|
||||
夏のせせらぎ | ||||
夏のテーマは「せせらぎ」です。山清水のような清冽さを感じる味わいが理想です。夏のコーヒーはすっきりとした酸味と苦味のある味わいに創りあげました。 | ||||
|
||||
秋のシンフォニー | ||||
秋のコーヒーのテーマは「シンフォニー」すなわち「味の交響曲」です。秋になると不思議に食べ物が恋しくなり、コーヒーが飲みたくなります。旨みのあるコーヒーが飲みたくなります。そのまま飲めば旨みが舌の上でシンフォニーを奏で、食べ物とともに飲めば、食べ物に和するものが理想です。秋のコーヒーは香り高く、旨みがあざやかで、食べ物にも合うコーヒーに創りあげました。 | ||||
|
||||
冬: | ||||
冬のコーヒーのテーマは「光」です。さらに言えば「光」の輝きです。太陽の光、暖炉に燃える暖かな光、パーティのきららかな光、家に灯る光など、光はぬくもりや希望そして夢を与えます。クリスマス・ケーキとともに飲んで美味しいコーヒー、鍋ものを囲んでわいわい、がやがや食べて飲んだ後でも、おそばとお酒の後でも、おぞうにやおとその後でもちょっと一杯飲めるコーヒー、そしていつ飲んでも美味しい、輝いているコーヒーが理想です。冬のコーヒーは香り高く、凛としてコクがある味わいに創り上げました。 | ||||
|
|
|